「浜名湖うなぎってどんな特徴がある?」
「浜名湖うなぎが有名になった理由は?」
グルメな人なら一度は聞いたことのある「浜名湖うなぎ」ですが、一体どんな特徴があり、どうしてこんなに有名になったのかご存知ですか?
こちらの記事では浜名湖うなぎの養殖の歴史や他地域のうなぎとの違いを紹介しながら、浜名湖うなぎの魅力を解説。
このブログを読めば、あなたもきっと浜松を訪れて浜名湖うなぎを味わいたくなるに違いありません!
浜名湖うなぎの特徴
浜名湖地域で養殖されたうなぎだけが「浜名湖うなぎ」と名乗れることをご存知ですか?
浜名湖や天竜川といった静岡県内で採捕された稚魚(シラスウナギ)のみを使用し、うなぎ養殖発祥の地ならではの伝統的な養殖方法と、研究により生み出された最新の技術で飼育されています。
浜名湖うなぎは長らくうなぎ生産量のトップを誇っており、近年は他県にその座を譲り渡しましたが、うなぎ蒲焼の消費量は今でも全国ナンバーワン。
浜松市は一世帯当たりの蒲焼購入金額が10年連続で日本一になるなど、うなぎとは切っても切り離せない関係です。
浜名湖うなぎは食品の安全性を示す一つの指標「トレーサビリティ」もしっかりしていて、組合で製造されたうなぎの蒲焼はそのロット番号から、誰がどのように育て、いつ加工製造されたかが一目でわかるようになっています。
2007年には静岡県で認定している「しずおか農産物認証」で水産物の第一号認証を獲得。
おいしさだけでなく、安心安全の面でも折り紙付きなのが浜名湖うなぎの大きな特徴です。
浜松は関東風と関西風の2種類が味わえる地域
浜松は関東風と関西風、2種類のうなぎ蒲焼が味わえる日本でもとても珍しい地域です。
うなぎの蒲焼は関東風と関西風で調理方法がこのように異なり、食べた時の食感もおおきく違います。
関東風 | 関西風 | |
開き方 | 背開き | 腹開き |
串の素材 | 竹串 | 金串 |
作り方 | 蒸してから焼く | 蒸さないで焼く |
食感 | 余分な脂が落ちて柔らかい | 皮がパリッとして香ばしい |
関西風は開いたうなぎを蒸さないで焼くため、皮がパリッと香ばしく仕上がります。
一方の関東風は一度下焼きした後蒸しの工程に入り、再びたれを付けて焼き上げるため、箸を入れるだけでほろりと切れるほど柔らかく仕上がります。
浜松は関東と関西の中間に位置しているため、関東風と関西風のお店が点在しています。
観光に来た際は、是非自分好みの味を見つけてみてください。
浜名湖でのうなぎ養殖のはじまり
ここでちょっと浜松でのうなぎ養殖の歴史についてご紹介。
もともと浜名湖には天然うなぎが生息していたため、江戸時代の後期には地元の名産品として広く知られていました。
浜名湖でうなぎの養殖が始まったのは明治に入ってから。
1879年(明治12年)に東京で初めてうなぎの養殖に成功した服部倉次郎という人物が、浜名湖にうなぎの養殖を作ろうと調査を始めたのが1897年(明治30年)のことです。
大日本水産会水産伝習所(現東京海洋大学)の協力のもと、浜名湖に約8ヘクタールの養殖池を作ったのが、浜名湖でのうなぎ養殖のはじまりだと言われています。
天然うなぎを採捕する際に、商品にならないと捨てられていた幼魚(クロコウナギ)を養殖池に放ち、数年かけて成魚へと成長させる養殖方法を編み出しました。
1971年(昭和46年)には、浜名湖養魚漁協組合長を歴任した村松啓次郎が卵から孵化してまもない稚魚(シラスウナギ)から育てる養殖方法を確立し、うなぎの生産量を大幅に増やすのに寄与しました。
こうしたうなぎの養殖方法が日本各地に広まり、浜松はうなぎの生産量が全国の7割を占めるまでに。
いつしか浜名湖は「うなぎ養殖発祥の地」として全国に知られるようになったのです。
浜名湖でうなぎ養殖が拡大した理由
浜名湖でうなぎ養殖が拡大した理由には。養殖発祥の地だけではない、いくつかの理由があります。
明治の末にはうなぎ養殖の技術が構築され、大正から昭和にかけては浜名湖のあちこちに養鰻場が作られていきましたが、これは浜名湖周辺や浜松に次のような特徴があったからと思われます。
◆ 年間平均気温が15度前後と温暖で晴天率が高い
◆ミネラル分豊富な地下水が流れ込んでいる
◆ ウナギの幼魚が豊富にいた
◆餌になる小魚や蚕が大量に採れた
◆東京や大阪など大量消費地に近い
◆道路や鉄道など交通網が発達していた
浜名湖は平均水深が5mと比較的浅めで、温暖な気候はうなぎが生育する環境として適していました。
また近くの天竜川からはミネラル分豊富な地下水が流れ込み、養蚕業が盛んだったためうなぎの餌となる蚕が大量に手に入ったのも養殖が広まった理由の一つです。
さらに東京や大阪といった大都市に近く、道路などの交通網が発達していたのも浜名湖うなぎが全国に広まった大きな理由となっています。
養殖方法の変化
浜名湖でうなぎの養殖が始まった当初は、体長15㎝ほどのクロコウナギからの生育がほとんどでした。
昭和46年になると卵から孵って間もない体長5㎝前後のシラスウナギからの養殖がスタートし、うなぎの大量生産を可能にしました。
また1981年(昭和56年)には養魚場をビニールハウスの中に作り、一年中暖かい環境で餌を与えられるようになりました。
浜名湖うなぎ、他地域のうなぎの違い
では浜名湖うなぎは、他地域のうなぎとどう違うのでしょうか。
日本の他の地域で養殖されているうなぎは、通常半年~1年ほどで出荷できる大きさにまで成長します。
しかしうなぎの品質にこだわる浜名湖養魚漁業協同組合では、1年以上の飼育を基本としており、使用する稚魚もすべて県内産。天竜川の河口や浜名湖内で取れた稚魚のみを使用しています。
また養殖場とうなぎを卸す問屋は他の場所にあるのが一般的ですが、浜名湖うなぎの生産地ではうなぎを卸す「立て屋」と呼ばれる問屋が同じ敷地内にあることがほとんど。
これによりうなぎの養殖から加工、販売までを時間をかけずに一か所で出来ることになります。
浜名湖うなぎが消えてしまう?
浜名湖うなぎのみならず、国内の天然うなぎの漁獲量は年々減少傾向にあります。
2008年には5年前の2003年の半分以下にまで漁獲量が落ち込み、同じように浜名湖うなぎの漁獲量も減ってきています。
浜名湖うなぎの漁獲量減少には理由があり、うなぎの稚魚であるシラスウナギが採れなくなったことが考えられます。
また安く生産できる中国産のうなぎが白焼き状態で輸入され、価格の高い浜名湖うなぎが売れなくなったという側面も。
このようなうなぎの価格の暴落により、浜名湖うなぎを生産している組合員の数も減り、全体的な生産量の減少に追い打ちをかけています。
シラスウナギの現状
うなぎの生態はまだ謎の部分が多く、卵からの人工ふ化が難しいため稚魚であるシラスウナギの確保が欠かせません。
以前は浜名湖や天竜川河口でたくさん採れていたシラスウナギですが、その生育場所が南に徐々に移動し、現在では四国や九州地方に産地が移っています。
日本国内の稚魚の採取量も不足しており、近年では中国や韓国からシラスウナギを輸入して養殖しているケースが増えました。
浜名湖うなぎを守るために
日本でシラスウナギの採取量不足が何年も続いたことから、国際自然保護連合(IUCN)ではニホンウナギを絶滅危惧種に指定しました。
またシラスウナギの採取地の移動や組合員の減少から、浜名湖うなぎの生産量も大幅に少なくなっています。
これを危惧した県内の漁業関連団体では、静岡県と協力して「浜名湖発親うなぎ放流連絡会」を発足。
ニホンウナギの保護と稚魚採取量回復を目的として、平成25年から毎年、200㎏ものうなぎを買い上げて浜名湖に放流するという事業を行っています。
うなぎ養殖発祥の地という責任と、浜名湖うなぎブランドを絶やさないという熱意が、この浜松うなぎを守るという行動に現れているのです。